|
第2章 不老長寿の仙薬を求めて富士山に来た中国の徐福
今から約2200年程前、中国秦の始皇帝の命により、斉の国(秦によって滅ぼされた山東半島にあった小国)出身の徐福が、日本に不老長寿の仙薬探しに来た事が中国の歴史書「史記」に書かれています。もちろん行先は日本とは書いてなく、はるか東海の国と書いてあるだけです。
一方日本には徐福が来た、と言われている場所は全国に20ケ所程ある。その各地が各々に「これぞ不老長寿の仙薬」と呼んでいるものがあります。 中でも一番有名な場所が、和歌山県で,熊野市に徐福神社と新宮市に徐福の墓のある徐福公園が有り、そこでは
中国服の女の子が中国茶をサービスして中国文化を伝えています。完全に観光化されていて、不老長寿は「梅干し」だった様な気がする。
富士山にも、もちろん徐福が来た話はある。不老長寿は富士山に生える「コケモモ」だ…と言う事で、昔はキャンプ場でコケモモ酒をすすめた事もあった。ところが、最近になって徐福の子孫が富士山北側の富士五湖から富士吉田市にかけて現在もいると言うのだ。その人達は全員「羽田」(はたと呼ぶ)姓である。はたとは秦(シン)の訓読みである。秦から来た人で「ハタ」と呼んだのでしょう。富士吉田には徐福の墓もある。
私の知人で、西湖でキャンプ場をやっている「羽田氏」も自分は徐福の子孫だ…とはっきりと言っていた。彼のお父様は大変立派な方で、「キャンプ場の天皇」と呼ばれていた。すごく長生きをされた。
山梨県甲府盆地からは2000年前の中国古銭「貨泉」が出土した。この事から今から2000年前の富士山周辺には中国から渡来した人達が住んでいた事は確かな様だ。

中国の新という時代に鋳造されたお金「貨泉」
「史記」よると徐福は3000人の童男、童女(未成年の男女)をつれ、さらに往復30年の諸経費にあたる金・銀・銅・鉄・珠玉、それに衣食器と農業ほか衣・食・住の専門家集団を率いて85隻の大船団で東海に船出して、そのまま不老長寿の仙薬を持って中国に戻っては来なかった。
その後、徐福は長寿国「蓬莱国」を作り、その国王となった、と記されている。以後、東海の蓬莱は中国のあこがれとなり、何人(何万)の中国人渡来の要因となった事でしょう。
さらには中国だけでなく、中東からもユーラシア大陸を超えて蓬莱国を目指して来た記録もあります。(宮下文書・後述)
大事な事は長寿国は日本にあり、不老長寿の仙薬は富士山にあったと言う事です。
そして、なぜ徐福は3000人の童男童女を連れて日本に来たのでしょうか。仙人の国(不老長寿の国)を造るのに必要であったからではないでしょうか。徐福は不老長寿の仙薬を発見していたのです。
|